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もとは営業畑出身?26歳で会社を上場させたサイバーエージェントの藤田社長の経歴書

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こんにちは!

Hard Worker ナカオです。

サイバーエジェントの藤田社長はぼくがもっとも尊敬するうちの一人の起業家です。

多くの芸能人にも愛用されている『アメーバブログ』をはじめとしたアメーバ事業で名を馳せ、インターネット広告業界では時価総額3600億円と、まさに一人勝ち状態にある株式会社サイバーエージェント。

20代、30代の若い社員が中心となった活気ある企業イメージのほか、

女性社員が可愛いとか、 女性社員が可愛いとか、 女性社員が可愛いとか
事業内容以外の側面でも語られることの多い、学生に人気のベンチャー企業です。(実際はとんでも無い大企業ですね)

今回紹介する創業者で現社長の藤田晋さんは、26歳でサイバーエージェントを東証マザースに上場させ、当時史上最年少の上場記録を打ち立てた凄腕の経営者であり、 2004年に、女優の奥菜恵さんと結婚された(2005年に離婚し、現在は元秘書と再婚した)ことでもよく知られています。

大学卒業後、24歳という若さで起業に至った藤田さん。

インターネットサービスを中心に利益を上げてる企業なので、社長は技術者出身または、そちらよりの人かと思っていました。
でも、実は藤田さんは営業畑出身で、技術者ではないので、僕の経歴と似てると勝手に思っていますw

ぼくは、藤田さんと同じく営業畑出身、会社を立ち上げて役員になったのも同じ年齢なので、どうせだったら、ガチで26歳で上場を目指して行こうと会社の仕事に没頭してきました。

立ち上げ初年度で○億円の売り上げを立てることに成功しましたが、立ち上げ2年で上場させるには、程遠い結果でした、、、。

昨年は1ヶ月400時間労働を自分のノルマにゴリゴリ仕事をしていきましたが、当時の藤田社長とぼくとの間にとんでもなくギャップを感じます。
そんギャップは何なのか探るためにも、藤田社長の背景を知っておく必要があります!

大尊敬する藤田さんの経歴書をまとめました!
興味ある人は見ていってください!

藤田晋(ふじた すすむ)/1973年5月16日生まれ
photo by : http://goethe.nikkei.co.jp/

 

留年もした大学時代

会社員の両親のもと、ごく普通の家庭に生まれた藤田さん。青山学院大学経営学部に進学した大学生活では、「将来は起業するぞ!」なんて高い志もなく、至って普通の大学生として自堕落な生活をしてたそうです。

麻雀が大好きで、授業もきちんと出るタイプではなく、留年も経験しています。

そんな怠惰な学生生活を送っていた大学2年生次の藤田さんの人生を変えた決定的な経験は、フロムエーのバイト雑誌で見つけた広告代理店でのアルバイトでした。

『オックスプランニング』というその会社は、リクルートから独立した30代前半の社長が切り盛りしていて、藤田さんはそこで飛び込み営業などの自転車操業を経験します。

 

Hard Worker ナカオ
Hard Worker ナカオ

「ここの自転車操業を経験して、飛び込み営業をしていく経験は本当に大切ですよね!Hard Worker ナカオも、同じような経験をしたから今があるなと思えます。」

 

そんな会社でバイトを続けるなかで、自分と10歳程度しか年の変わらない人が社長業をしている姿を間近で見ているうちに、藤田さんは「俺にもできるんじゃないか?」と、始めて社長業・起業というものを意識したそうです。

藤田さんは代理店でのアルバイトを2年半続け、「バイトの合間に授業に出る」という生活を続けていたほど、仕事に夢中になっていました。

 

Hard Worker ナカオ
Hard Worker ナカオ

「この話から、人間は誰と一緒にいるか?どんな環境に身を置くか?そして、解釈からの行動で人生が決まっていくんだと再認識!」

 

インテリジェンスに就職後、1年で独立起業することに

留年を含め5年かけて大学を卒業した藤田さんは、総合人材サービスを手がける人材派遣会社インテリジェンスに入社しました。(第一志望はTSUTAYAを手がけるCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)でしたが、あっさり一次で落ちたそうです)

大学時代のアルバイト経験から、将来は起業すると決めていた藤田さんは、就職面接の段階で「将来は起業します」と宣言していました。
「この経験はやはり進んでやるべきなんですね!大学生のみなさんは、インターンで大手もいいですが、自転車操業でゴリゴリセールスをしている会社もありではないでしょうか?!」

その当時、インテリジェンスという会社には藤田さんのような独立思考の野望を持った人が多く、「将来は起業する」と誰もが口々に語っていましたが、 のちのち、実際に起業した人は一人もいなかったそうです。

どの世界でもそうですが、「将来は起業する」と言っている人間の95%は結局起業しません。 そんな人達を見て、自分は絶対に口だけにはならないぞ、と藤田さんは堅く決心したそうです。

 

Hard Worker ナカオ
Hard Worker ナカオ

「どんな時も8:2の法則(パレートの法則)が働いている体感があります。理由は、Hard Worker ナカオの周りもそうだからです!将来起業したい!将来金持ちになりたい!将来トップセールスマンになりたい!」

と友人たちと将来について熱く暑く厚く語っていました。

しかい高校時代の友人の今を見ると、しっかりサラリーマンをしていますw
「起業はリスクでしょ?」「Hard Workがしんどい」「スキルとか必要そうで難しそう」なんて、ことばかり言ってます。

彼らがそうなったのには、原因が2つあります。

1:先ほどお伝えした環境。サラリーマンの周りにはサラリーマンしかいません。なので、とんでも無くサラリーマン思考になったのでしょう。

2:人間はやったこと物事に対して、ネガティブに思考する癖がある。これは防衛本能が働きます。例えば、自分の身を滅ぼすような危険物が正面から迫ってきるにも関わらず、当たってから考えればOK!みたいなとんでも無くポジティブだと死んでしまうため、防衛本能が働き、ネガティブになります。ネガティブが悪いのではないです。

上手くネガティブと付き合って行けると成果が出やすいと考えています。

 

「1年間は本当に1日も休まなかった。土日も出勤し、毎日始発で出勤していた」

インテリジェンスでは人材採用の営業を担当していた藤田さん。 相当仕事にハマっていたようで、独立に至るまでの1年間、本当に1日も休むこと無く、土日も必ず出勤し、なんと毎日始発で会社に通っていました。

それは会社がブラックだとか上司が厳しかったとかいう問題ではなく、 「毎月の売上目標を達成するのが楽しくて仕方なかった」という藤田さんの異常なまでのワーカホリックによるものでした。

Hard Worker ナカオ
Hard Worker ナカオ

この、目標を達成するのが楽しくて仕方ない状態は、経験があります。仕事が上手く回り始めるとどんどんのめり込んでしまいますよね!
Hard Workerにとって、目的あるHard Workerはとんでもなく楽しいものです!

 

その結果、当然藤田さんの営業成績はトップであり、入社1年目からすでに一目置かれる存在になっていました。

 

大学時代バイトしていた会社の専務と共同起業することに!?

そんなバリバリの営業マンであった藤田さんのもとに、ある時、共同起業の話が浮上します。 きっかけは、藤田さんが大学時代にアルバイトをしていた『オックスプランニング』の専務でした。

実は当時オックスプランニングの会社内で内紛が起こったらしく、役員が会社を追い出されてしまったのだそうです。

その話を聞きつけた藤田さんは、バイト時代に最も仲の良かった専務に対して、何と自ら「なら一緒に起業しませんか?」と共同起業の話を持ちかけたのです。

Hard Worker ナカオ
Hard Worker ナカオ

この行動量と行動力こそが、Hard Worker ナカオとのギャップかもしれません。

 

専務もこれに同意し、専務を社長に、藤田さんを役員として二人は会社を立ち上げることを決めました。 しかし、問題はその後に起こりました。

 

インテリジェンス宇野社長の助言で、事態は一変してしまう

専務との起業を決めた藤田さんは、インテリジェンスを退職したいという旨を創業社長である宇野康秀さんに相談しに行きました。 すると宇野社長は、起業することは良い事だとしながらも、一つだけ藤田さんに条件をつけたのです。

それは、 「専務と組むのは辞めて、お前が社長をやれ」 というものでした。

さらに宇野社長は、藤田さんが一人でやるというのなら出資もしてやるという破格の条件を提示します。

この打診を受けて藤田さんはこう思いました。 (あ。ぶっちゃけ、こっちの方がいいな・・・) それもそのはずです。今日までイチ新入社員だった自分が、いきなり「社長」の肩書きになるのですから。

一年でも早くキャリアップしたいと上昇志向の強かった藤田さんにとって、「社長をやれ」という宇野社長の助言は捨てられるものではありません。
しかし、問題は専務です。 だって、藤田さん自ら「一緒にやりましょう!」と申し出たのに、 「あの話やっぱやめます。オレ、一人で起業するんで。宇野社長から出資もしてもらえるし」 と、手のひらクルッッとしてやったわけですから。

Hard Worker ナカオ
Hard Worker ナカオ

この時、冷静にメリットを選び、選択して、資金繰りを最前の状態にするのも、伸びるスタートアップの特徴ではないでしょうか。

 

当然、専務からは裏切り者と呼ばれたそうですが(現在では仲直りしたそうですが)、藤田さんは自分自身の将来のために、自らが社長となって起業する道を選びました。

しかしこの時点では、自分が社長として起業するという事以外は何一つ決まっておらず、 「誰とやるのか」も「何をやるのか」も、まったくの白紙の状態だったと言います。

 

 

営業代行会社として、サイバーエージェントが誕生

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とにかく起業すると決意した藤田さんは1年でインテリジェンスを退職し、一番仕事が出来なかったという同期の仲間(現・サイバーエージェント副社長の日高氏)とアルバイト1名を呼び寄せて、宇野社長からの1000万の出資金をもとに、1998年に3人でサイバーエージェントを起業しました。

肝心の事業内容については、まず「インターネットを使う」ということ決めました。

当時はインターネットというだけでみんな拒絶反応を起こすほど一般的には浸透しておらず、「だからこそ将来的に伸びる!」とその可能性を信じたからでした。

Hard Worker ナカオ
Hard Worker ナカオ

商材を見る先見力。さらに常識=多数派意見を間に受けず、将来は絶対伸びる事業と自分の目を疑わずに信じて行動することの大切さを結果と歴史から学びました。

 

こうしてサイバーエージェントが始めたのは、インターネットの「営業代行業」でした。 当時の藤田さんたちは営業の経験しかなかったことと、プログラマーなどの技術者たちは良い作品を作れても自分たちで世に広める手段を持っていなかったという背景がありました。

 

Hard Worker ナカオ
Hard Worker ナカオ

今でこそ、グーグルの検索エンジンを使ったリスティング広告やディスプレイ広告、SNS広告などがあり、認知は一気に広げやすいでしょうが、当時は営業しか良いプロダクトを広めることができなかったのかと思うと、やはり営業って素晴らしい仕事だなと思いました。

 

代理店事業は本当は絶対やりたくなかった・・・

営業代理店としてスタートしたサイバーエージェントでしたが、 藤田さんは内心では、営業代行や代理店事業というものはどうしてもやりたくなかったそうです。

というのも、 藤田さんは大学時代の広告代理店のアルバイト経験を通して、 「自社で商品を持たないことの辛さ」を敏感に感じ取っていたのです。

他人の商品を扱うということは、相手によって取り扱いを打ち切られたり制限されたりというリスクも伴うし、自然と発言力も弱くなってしまう。

だからどうにかして自社の商品、ネット広告で言うなら「自社のメディア」を持たないといけない、と藤田さんは考えていました。 そして半年間は、営業代行を続けながら、どうにか自社のメディアを持てないか、と模索する日々が続きました。

 

Hard Worker ナカオ
Hard Worker ナカオ

Hard Worker ナカオはサラリーマン時代は、自社メディアを運営したる企業に勤めていたので、自社メディアをもっていることは当たり前でした。

藤田社長と同じですが、ぼくも独立した時に広告代理店として起業をした時に痛感しました。「自社サービスを持たない弱さに

これから独立される方には、自社サービスをもって独立することをおすすめします。または、今までやってきた仕事の延長線上で利益が出せる商売をしながら、あらたな自社メディアやサービスを開発して、ローンチしていくことをおすすめします!

 

堀江貴文氏が開発した「サイバークリック」で大当たりし、脱営業代行?!

そんなサイバーエージェントの救世主となったのが、ホリエモンこと堀江貴文氏が当時率いていた『オンザエッジ』(ライブドアの前身)でした。

当時バリュークリック社(現メディアイノベーション)で広告代理店業をしていたサイバーエージェントは、バリュークリックが好調なことから、クリック保証型バナー広告「サイバークリック」というサービスを開始しました。

そして、この「サイバークリック」の開発を手がけたのが、堀江貴文さんでした。

当時のサイバーエージェントは技術力を持っていなかったので、売上をシェアするという条件のもとに堀江さんのオンザエッジが開発することになりました。

それ以来、藤田さんと堀江さんは二人三脚で会社を大きくしてきた盟友となっているようです。

結果的にこのサイバークリックが大当たりし、サイバーエージェントは営業代行事業を全て辞めることとなりました。

そして2003年の3月、サイバーエージェントは東証マザーズに上場を果たし、当時26歳での上場は史上最年少の記録となりました。

Hard Worker ナカオ
Hard Worker ナカオ

どこで、人生を激変させる出会いがあるかわからないものですね!常にアンテナを立てて置くことが大切!

 

会社のロゴにもついに!自社メディアの「アメーバブログ」が誕生

サイバークリックが大当たりしたサイバーエージェントですが、株式上場に伴い会社の規模が急拡大し、すぐに売上が追いつかなくなってしまいました。

そこでサイバーエージェントは、再び広告代理業を再開せざるを得なくなりました。

Hard Worker ナカオ
Hard Worker ナカオ

利益を出すには、その事業をやりたいかどうかではない。やるべきことを淡々とやれば結果がついてくると再認識!

今でこそネット広告代理店として不動の地位を築いたサイバーエージェントですが、藤田さんの正直な気持ちとしては乗り気ではなく、やはり「自社のメディアを持つ事」が一番の関心ごとでした。

さて、そんな時代のIT業界では、YahooJapanの台頭により『ポータルサイト』というコンセプトが目立っていましたが、それ以外にはめぼしいメディアがなかなか見つかっていませんでした。

そんな停滞状態に兆しが差したのは、2004年にアメリカからWEB2.0という潮流が日本に流れてきたときです。

その潮流の中で生まれていたのが、ブログやSNSです。

最初は藤田さんもブログなどはずっとやっておらず、どちらかというとこういうものを軽んじていたそうですが、盟友の堀江貴文さんが書いていたブログが面白くて、段々とブログというものが気になりだしたそうです。

 

「渋谷ではたらく社長のブログ」が大量のアクセスを集めて、ブログに目覚める

堀江さんのブログが面白いことを受けて、遅れながらもようやく自分のブログを立ち上げた藤田さん。

最初は「東京で働く社長のブログ」というタイトルで、自分だとバレないように書いていましたが、それではなかなかアクセスが集まりにくいことから、 「渋谷ではたらく社長のブログ」とタイトルを変更し、徐々に自分だと分かるようにしていったそうです。

 

するとブログが大きなアクセスを集めるようになり、藤田さんはブログというメディアの持つ可能性を身に染みて痛感しました。

Hard Worker ナカオ
Hard Worker ナカオ

Hard Worker ナカオは、今まさに痛感してます!!!

「これはヤバい! これをサイバーエージェントの主力事業に持っていこう!」 と決心し、競合から半年遅れでしたが、サイバーエージェントはアメーバを自社のロゴにするほどの覚悟を持って、「アメーバブログ」を開発しました。

このアメーバに関しても、すんなり上手くいくことはなく、開始から5年間で累積赤字が60億円にまで膨らんでいましたが、 2009年にようやく黒字化し、アメーバ事業は1年間で100億以上の利益を出す主力事業へと成長を果たしています。

現在ではソーシャルゲームや『755』などのアプリも手がける

アメーバ事業で急成長を果たしたサイバーエージェント。 今ではソーシャルゲームやアプリなども数多くてがけ、その事業内容は非常に多岐に渡ります。

最近だと20億円をかけたと言われる新世代トークアプリの『755(ナナゴーゴー)』はCMでもバンバン宣伝投下されていましたが、どうも爆発的なヒットの予兆はいまだなさそうで・・・。

この『755』アプリは堀江さんとタッグを組んで開発されており、755というネーミングの由来は、刑務所時代の堀江さんの収監番号(755番)から取られています。

 

要約 

藤田さんの経歴書を追うようにぼくも株式上場や自社サービスを運営して、インターネットを通じて、まだ世の中にないサービスを提供し続けていきたいな!

可愛い女性を見たい方は、「サイバーエージェント 女性社員」で、グーグルで絶対に検索しないでください。絶対に「サイバーエージェント 女性社員」で検査しないでくださいね!

 

ここまでお読みいただきありがとうございました!